北北北

有村藍里ちゃんが可愛すぎる

有村藍里ちゃんの可愛さについて語らせてください

 


北18条が怖いです

 


タイトルの通りなんですけど、有村藍里ちゃんが可愛い。本当にもうばちくそに可愛い。

整形手術をしたからっていうよりも、それによって表情が明るくなって笑顔がキラキラしていて本当に可愛いと感じます。

元のお顔も、1mmでも可愛くなろうとした努力も、今のキラキラの笑顔も、全部ひっくるめて可愛い。可愛い。

今一番応援している。カメラロールが埋まる。

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ツイッターで#整形垢、#整形渡韓 と検索すると、山ほどの呟きがヒットします。お金を貯めて、自分のことが少しでも好きになれるように、可愛くなれるように、二重を作ったり鼻を少しだけ高くしたり。

もはや、"親からもらった身体を傷つけてはいけない"時代は終わっていて、自己の所有の話に関わる部分でもあるのかなあと思ったりするんですけど。

痛みは自分のものであるし、そもそも"傷つける"とは違うよな、と感じます。

ちょっと怖いのは、「人中が短い」「顔の余白が少ない」「横顔で鼻と顎とを一本線で結んだ時に唇に当たらない」等々、美の基準が固まってきてしまってるところです。整形が当たり前になって、皆んながそれらを満たすようになった時、どうなるんだろう?全員美人の世界。ゲキアツだけどちょっとこわい。

でも皆んな同じ、って、今まさに就活戦争がそんなような。同じようなリクルートスーツに同じようなトレンチコート。某スーツのお店で「ブランド物のトレンチコートはやめたほうがいい」とアドバイス頂きましてびっくりしました。御社…そんなところ見るの?

 


話がずれました。

でも結局整形だけじゃなくてお化粧もお洋服も自分を好きになる、自分が好きなものを表明する一つの手段であって、全ては努力であって。「何かを頑張ってる女の子」が好きだと言ってた友人がいたんですけどまさにそれで、頑張ってる女の子は可愛い!可愛くなろうとしてるその時点で可愛いんだ!と、思ったり。

 


有村藍里ちゃんが今多くの女の子から支持される理由は、コンプレックスを持つ弱さを知った上での輝く強さがあるからかと。優しさと弱さと強さと美しさの共存、尊い。みんなで推しましょう?!

 

 

少し前に「おんなのこきらい」という映画を観ました。

主人公は、可愛い可愛い女の子。可愛い服を着て、可愛い食べ物を摂取して、でも好きな人には好かれない。

"可愛い"と"可哀想"の境界線。可愛いってどこか弱いものな気がする。『三四郎』のpity's akin to love が思い浮かびます。

 


可愛さが渋滞する、「可愛い」が呪いになりうる世界で求められるのは。

かわいいだけじゃダメみたい。

https://youtu.be/X82hZurzmEY

 

でもじゃあ、どうしたらいいんだろう?

有村藍里ちゃんは、かわいいだけじゃないものをもってるんじゃないかなって、そう思うのです。

 

 

※訂正とお詫び

前回「次は、走れ下人を書く」と言ったのに実行できておらず申し訳ないです(ESで「有言実行」アピールした人は誰だ?)。いつかやります。