北北北

『ホットギミック ガールミーツボーイ』みたよ!!

少女が世界を獲得する話です。死が怖い。

f:id:ttmmidngn:20190711122208j:plain

 

『ホットギミック ガールミーツボーイ』衝撃だった。

自己肯定感が低いヒロインの初(堀未央奈)がその幼馴染で現在モデルをしているイケメン梓(板垣瑞生)、全国レベルの模試の成績を誇るドSなリョウキ(清水尋也)そして血のつながらない兄で初を優しく守る一橋大生の凌(間宮祥太朗)と繰り広げる王道ラブコメである。原作は少なくともそうだ。

 

それがどうだろう、山戸結希監督の『ホットギミック』はラブコメのらの字もない、まったく別の新しい青春少女映画に生まれ変わっていた。

 

山戸監督といえば、代表作は『溺れるナイフ』。菅田将暉と小松奈々目当てに僕も観たが、このころからすでに新しく、ほかの監督とは明らかに異なる表現方法を確立していた。けれどもそれでも、原作か配給会社への忖度がみられ、(例えば小松奈々が強姦されるシーン)完全にオリジナルとまでは言えなかったのではないだろうか。それが今回は妥協一切ナシ。純度100%だった。

 

冒頭から明らかに他の映画とは違った細かすぎるショットの積み重ねはわかりやすさを重視する昨今の邦画とは一線を画している。ショットをつなぐというよりも羅列するイメージで、話とは関係のないスナップショットまでも挿入される。インスタグラム世代の若者には親しみのある表現方法だ。おじさんおばさんには理解しえない。

 

画面を二分割にして対話させたり、エグイところからのショットとその目まぐるしさ。もう観客は受容するしかない状況に追い込まれる。ほかのどの監督にもない個性が存分に発揮されていた。映画の文法には全くのっとっていない。繰り返すがおじさんおばさんには理解しえないのです。


 

自己肯定の低い初は流されるように恋をする。はじめはモデルの梓。半ばアイドルに恋をするように梓を好きになるが、リベンジポルノされて破局。これは原作と同じで、梓にも梓なりの思いがある。

f:id:ttmmidngn:20190711122927j:plain

 

 

次にリョウキと恋仲になるが、このリョウキ、正直ビジュアルの時点で勝ち目はない、こいつ咬ませ犬やと思っていた。序盤のリョウキはそれはもうスゴかった。初の弱みをにぎり、奴隷扱い。「俺のモノになれ」なんて今のこの時世ではアウトだ。しかもビジュアルは間宮、板垣瑞生にかなうはずもない(これは完全に僕の主観)けれどもだんだん気が付いてくる。あっ、こいつ不器用なだけや・・。

 

f:id:ttmmidngn:20190711122431j:plain

 

なんやかんやあって結局一時はリョウキのもとからも離れ、兄の凌のもとへいく初。キスまでする。凌演じる間宮はひたすらにかっこいい。

f:id:ttmmidngn:20190711122637j:plain

 

けどなんか違う、このままじゃあかんぞ!初!その思いにこたえる形で結局はリョウキを選びます。詳しくは映画観てください。

 

リョウキを追いかける初。「このままの私でいい、リョウキといればそう思える」、今まで選ばれる立場、受動的で守られる立場だった一人の少女が地に足つけて、自分で人生を選び取っていく瞬間がここでは描かれます。このシーンは映画史に残るのではと思うくらい素晴らしく、レオス・カラックスの『汚れた血』でアレックスがデビットボウイのモダンラブを聞いて走り出すシーン。または『ポンヌフの恋人』で有名な花火が二人を祝福するシーン。それに類する感動がありました。

 

原作は少女漫画でありがちな、いわゆるシンデレラストーリーの側面がある。王子様に選ばれて、幸せになる感じ。けれども映画の主題は少女の成長だ、少女が自らの自由意志に沿って人生を選んでいく。リョウキにも告げる、「ずっと好きかなんてわかんないよ!」

 

だからこそ結末が異なるのだ。原作のラストは結婚で終わる。映画は「ずっとバカのままでいたい」と言って、この先はどうなるのか分からない広がりのある終わりかたをしている。

 

山戸監督がこの前7ルールの取材で、10代の、なにもなくて絶望している女の子に向けて映画を作っていると言っていたがその意味がめちゃくちゃ分かった。

 

これを観たとき僕のほかに観客は数人。10代の女の子は残念ながらいなかった。おっさんばっかり。おっさんにはわからんだろう!と思ったし、この映画で感動できるくらい若いことがうれしかった。10代でも、女の子でもないけど。

f:id:ttmmidngn:20190711123258j:plain