北北北

ひばかり③

前話→https://ttmmidngn.hatenablog.com/entry/2019/05/20/210122

 

「ゆうこちゃんたら、すっかり女子大生やってんなもんねぇ。こないだまで制服着ちょったんに、あれね、シティガールね!」
「も〜おばちゃんたらなに言うんね。向こうじゃまぁ〜人混みに揉まれったわね、田んぼがちょうどいいわぁ! はい、これお土産」
「あら、これ宣伝しったやつやないね! ありがとうねぇ! これ、きゅうりしかなんだけど持っていき。しっかしまぁ〜すっかり大人なっちゃって。うちのときたら畑放ってカエル取りなんかしとんに……」
「そら男の子だもの。大学行ったってね、男なんて何歳なってもガキなもんですよぅ」
「あっはっはっ! たしかにそうね! ゆうこちゃん来たらうちの男連中みんなモジモジしったわ! あっはっはっはっ」

輝かしいほど垢抜けた格好に、流暢な訛りがちぐはぐだ。父もジジも、すっかり大人びたゆうこを前に必要最低限しか喋らない。舅が新妻を前にしたときのように、なんとなく罪らしいのだろう。女の子が都に出て垢抜けることは、一つの通過儀礼のように緊張をもたらす。女性はすぐに(喜びをたたえて)適応するが、男にとっては難しいことである。オトナでさえそうなのだから、まして僕はなおさらだ。野暮なセーラー服を脱皮して都の蝶へ。頑丈な蛹を捨て、風が吹けばひしゃげ・砕けそうな蝶になってこそ、かえって侵すべからざるバリアを纏うように思われる。そういうバリアを溶かすのが唯一、アルコールだとか。酒が入ってようやく部落の男どもは恥ずかしい口を開き、外聞もなく饒舌になる(素面でそれが出来るのを、都会じゃ「器用」というらしい)。外へ出て行った者が一時的に帰る盆に限って、やれ祭りだの、やれ寄合だの、まったくうまく出来ている。
カエルをカゴに放り込むやいなや、ひばかりは一匹に飛びかかった。蛇の頭部は左右で独立して動くようになっている。右が噛み付いている間に左が牙を放し、より深くに噛み付く。次は右が牙を離してより深く噛み付き……というのを繰り返し、ちょうど両手で手繰り寄せるように、口の中へ獲物を押し込む。ゆっくりとだが、確実に。
「入るよぅ、野村萬斎
ゆうこの声が戸のすぐ裏から聞こえたので僕は驚いた。慌ててひばかりを隠す間もなく、返事する間もなく、ゆうこが戸を開けた。
「勝手に入んじゃねぇっ」
「な〜に固いこと言うんね。まったく年頃のオトコノコは難しいねぇ。お? ヘビ飼ったの? だからカエルしめてたのね。うへェ〜残酷」
とっさに返す言葉が見つからないのと、残酷と言われたのが案外刺さったのとで、僕は黙ってしまった。ゆうこは当然のようにベッドに座った。蝶になったかと思いきや、蛹のままに振る舞う。歯がゆい。
「しかしこの蛇まだ子どもね。育て甲斐ありそうだわぁ」
「ちげぇって、こういう種類なの。ひばかりっつって、小さめの蛇なの」
「ヒバカリ? 変な名前」
「ほんとは無毒なんだけどな、昔は毒蛇だと思われてて『噛まれたらその日ばかり』ってことでひばかりっていうらしいわ。ジジはまだそう言ってる」
「あーね。だからってそんなコソコソしとんね」
ゆうこがカゴを覗き込む。僕もカゴを見る。カゴを通して、反射するゆうこを見る。
「ところで、かおりちゃんになんて返事するん」
「へっ?」
「しらばっくれんなよ〜本人から相談されったんから。弓道部の人脈なめんなよ」
「……」

夏休みの前に、僕は一人の女の子に告白されていた。かおりちゃん。学年は僕より一つ下。部落の人ではなく、出会ったのは高校だ。なんやかんやで顔と名前は一致していたがそれ以上は特になかった……はずだったが、終業式の日に下駄箱にその種の手紙が入れられていた。
彼女を好きかどうかと言われれば、それ以前に彼女をよく知らないので判断も返事も出来なかった。僕は彼女の性格も素性も、LINEも下駄箱も知らなかった。故にそのまま放置して、ぼちぼち考えようと思いつつ考えるでもなく平穏に夜を明かし日を暮らしていたのだが、まさかゆうこに話が通っていたとは。
「まぁこのことはあんたら二人の問題だけどね。あたしから言えることがあるとすれば、『可愛い後輩泣かせんな』ってぐらいかな」
そう言ってゆうこはニカッと笑った。思いがけずゆうこと顔を合わせた。変わらない眼鏡・耳の形と、前より白い肌・前より鋭い眉の切っ先。
「まっ、あんたも言いたいことあったらあたしに言いね。免許とるんで一ヶ月くらいこっち居るから」
そう言うとゆうこはベッドから跳ね上がった。
「じゃあね。お土産、下にあるから」
トタタタタタタと階段を駆け下り、そのまま玄関で靴を履く音が聞こえた。
ひばかりは嵐に直面したかのように硬直していたが、やがてまたカエルを捕食し始めた。

(おばさーん、また!)
(あら! またね〜)

お土産は甘すぎないお菓子だった。