北北北

しゅーかつ

遅くなりました

老いが怖いです

まずはじめに遅くなった理由から。

前の人がまだ書いてないとずっと思ってました。はよかけや!ってずっと思ってました。前の人ごめんね。


ネタに困ったわけではないです。

最近大学でやってる企業研究会にちょくちょく参加してるんですけど、いや〜話を聞けば聞くほど就職いやですね。ほとんどの企業同じような事を言うし、興味あるかもと思って聞くと興味ないみたいなね。


僕はロマンチストなので、仕事を楽しく、仕事にやりがいを!などと考えてましたが、楽しさややりがいを見出せる仕事を探すのがまず大変ですね。


そんななか、昨日は白石のライブハウスでパンクの祭典的なライブを見にいってました!一番若い人で25くらいで、みんな就職してるんすよねー

そんな中でもみんな好きな音楽やって暴れてるのってほんといいなーって思いました(ちょっと怖かったけど笑)

あーいう風に仕事じゃないところに生きがいを持つのもアリだなと考える今日この頃です。

ただそうすると仕事以外の努力が必須になるからな〜。迷いです


最後に、最近好きになったレディオヘッドのリンク貼っときます。もともと陰鬱な感じが好きじゃなかったんですけど、最近自分の状況とリンクして最高です

https://www.youtube.com/watch?v=fHiGbolFFGw&feature=share


https://youtu.be/oIFLtNYI3Ls




シニフィアン・シニフィエ

f:id:ttmmidngn:20190225092618j:image「異性化液糖」って、際どいエロ同人誌とかに出てきそうな代物だなぁと思いました。MeTooが怖いです。

 

なんかぁ

チ●コってぇ

猥褻だからぁ

言っちゃいけないみたいな風潮あるじゃないっすかぁ。

でもぉ

人ってぇ

チン●っていうシニフィエをぉ

どうしても表現したくってぇ

他のシニフィアンを模索するじゃないっすかぁ。

たとえばぁ

「チ●コ」の代わりにぃ

「バナナ」とかって言うじゃないっすかぁ。

でもそれはぁ

最初はセーフかもしれないけどぉ

バナナが定着してきたらぁ

シニフィアンシニフィエの距離が近くなってぇ

最終的にはぁ

「バ●ナ」そのものが猥褻ってみなされてぇ

言っちゃいけないみたいな風潮になるじゃないっすかぁ。

でもぉ

人ってぇ

バ●ナっていうシニフィエをぉ

どうしても表現したくってぇ

他のシニフィアンを模索するじゃないっすかぁ。

たとえばぁ

「バナ●」の代わりにぃ

「マグナム」とかって言うじゃないっすかぁ。

でもそれはぁ

最初はセーフかもしれないけどぉ

マグナムが定着してきたらぁ

シニフィアンシニフィエの距離が近くなってぇ

最終的にはぁ

「マ●゛ナム」そのものが猥褻ってみなされてぇ

言っちゃいけないみたいな風潮になるじゃないっすかぁ。

以下、同じようにメタファーを繰り返していくとぉ

いずれあらゆる言葉が猥褻とみなされてぇ

言っちゃいけないみたいな風潮になっちゃうじゃないっすかぁ。

そんなのただの言葉狩りじゃないっすかぁ。

ただ一つだけのシニフィエのためにですよぉ?

 


こんな主張阿呆らしいと思うかもしれないけどぉ

似たようなことはぁ

部落問題で起こってるんすよぉ。

「部落」なんてそもそもぉ

「集落」だの「地域」だのと変わらない意味合いなのにぃ

「被差別」っていう接辞がついて取り上げられたばっかりにぃ

現在では事実上の放送禁止用語扱いなんすよぉ。

現に「被差別」の接辞を全く意識しない文化圏の人らはぁ

未だにタブー意識なく「部落」を本来の意味合いで使ってるのにっすよぉ?

んでぇ

「部落」は言っちゃいけないからってぇ

「同和」っていう言い方に変わるんすけどぉ

いつしか「同和」って言い方もぉ

シニフィアンシニフィエの距離が近くなったからってぇ

あんまり言っちゃいけないって風潮になってきたんすよぉ。

そんな調子だったらぁ

いずれぇ

「地域」みたいな言葉までがタブー視されるようになるのも時間の問題だと思うんすよぉ。

その過程でシニフィエが直面する「門戸差別」の問題そのものはぁ

ちっとも進展しないじゃないっすかぁ。

そんなの結局クサい物に蓋の理論でぇ

問題を先延ばしにしながら言葉を殺していってるだけじゃないっすぁ。

それこそ阿呆らしいじゃないっすかぁ。

問題はどのシニフィアンをあてはめてやり過ごすかじゃなくってぇ

シニフィエそのものに横たわる課題を如何に解決するかにあると思うんすよぉ。

 


ここまで読めばぁ

僕たちが次に為すべきことが一つ見えて来ますよねぇ。

今を生きる僕らがいま探求しなければならないこと。

それはぁ…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どうすれば「チ●コ」は猥褻じゃなくなるのか。

 

文責:MeTooが怖い

P.S.思いついた方はぜひともコメント欄へどうぞ。

恋人と友達(せ)って

関係各位ほんとうにすみません、慣れが怖いです!

ブログを更新することに慣れちゃって怠慢ですな、いけないいけない。

 

前回更新した時はというと、好きなの辞めるわ!宣言をさせて頂きました。

実際会わなければ結構忘れるもので、割とどうでもよくなってきたヨ。

 

最近はなんかよくわからないうちに一線を超えそうになったことがあって、ビッチの気持ちがちょっとわかった気がした。今まで付き合ってない人とそういう関係になる(なりかける)という経験がなかったから、これを機に改めて「恋人」と「セフレ」の違いを考えてるんですけど、皆さんどう思います??

 

最初は「一緒にいて楽しいかどうか」と「求める/求められるか」が両立するのが恋人?とか思ったりしたけど、そういう次元を超える何かがあるんじゃないかとも思って。

宗教とかの「聖なるものを畏れ信じるきもち(ヌミノーゼ)」と恋愛の「誰かを本気で好きになるきもち」て限りなく似てると思ってて、そのなんとも言えない「誰かを本気で好きになるきもち」がないと恋人にはならないのかな、という。

ただ、どちらも簡単に得られるものではないし、精神的なそういう感情って経験できた人にしか理解できないものであって、私はたぶん誰かを本気で好きになる経験をまだしていなくて理解できていないから、恋人とセフレの違いとかを考えてしまうんだろうな〜という結論。

 

…理解できないうちは場数を踏んで相対的評価を重ねるのが近道かな!がんばろう!

 

あと最近足車納車したので、時間帯問わずドライブ等お待ちしてます!

 

では!

2月19日のチョコレート・ソルジャーズ

 

ハッピー・デイ - 北北北北北

 (↑のスピンオフの形で書きました。Me怖の許可はもらっています。)

 

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 学校はオレンジ色だった。

「チョコレート・ソルジャーって知ってる?」

 テスト期間に入った教室には運動部の声も吹奏楽部の音も聞こえてこなくて、ストーブの音がジリジリと鳴っていた。

「何それ」

 洋画や洋楽が好きな彼女の言葉はいつも知らないものばかりだ。急に話しかけられてどこまで読んだか分からなくなった英文を、再び少し前から読み直す。

「戦いたがらない兵士のことらしいんだけど、」

「ふーん」

「私たちってチョコレート・ソルジャーじゃない?」

 握っていたシャープペンシルの芯が軽い音を立てて折れた。陽菜が何の事を言っているかはすぐに分かった。五日前の、バレンタインのことだ。

 バレンタイン当日、好きな人に告白できなかった。傍から見ればその程度の話。けれど自分にとっては一世一代の機会だった。現に五日経った今でもずっと心残りで、テスト期間でなければ集中するものもなく落ち着かなかっただろう。

 恋は戦争、なんて大袈裟だと思っていたけれど、その日ばかりは戦争かもしれないと思った。彼の下駄箱に詰められた色とりどりの箱を見てしまったから。モテることを知らなかったわけではない。私だってそんな彼を好きな一人だ。嫌でも情報は入ってくる。

 彼に直接告白した人がいるらしいと、昨日噂で聞いた。噂の真偽は分からないが、重要ではない気がした。そんな噂を聞いてからでなければ焦ることもできない私など、はじめから勝負にならないのだから。

 そんな自分を形容する言葉が「チョコレート・ソルジャー」だなんて。なんて皮肉めいた言葉だろう。クリスマスに好きな人を誘うことができない人を「チキン」と形容するようなものだ。いや、クリスマスは七面鳥か。

 恋の戦争に参加しきれないまま待機していたら商業戦争の流れ弾に被弾したチョコレート・ソルジャー。少しだけカッコよく言ってみても要は臆病なだけだった。作ったチョコレートも家に帰ってすぐ捨ててしまった。

しかし、「私たち」?

「ねえ、陽菜」

「あ、終わった。なに?」

「……いや、なんでもない」

 陽菜は数学の勉強に一区切りがついたようで、徐に音楽プレーヤーから音楽を流し始めた。いつものような洋楽ではなくて、自分も聴いたことがある邦楽。何かのCMソングだっただろうか。陽菜の話には、なんとなく触れられなかった。

 すっかり集中力が削がれてしまって、もう英文を読むどころじゃなかった。今回英語の範囲はいつもより簡単だったはずだし、問題作成も山木らしいのでいやらしい問題も出ないだろう。きっと平均点以上はとれるはずだ。

 テストひとつに対しても集中できないのに、来年の受験に向けてなど勉強できるのだろうか。三年生0学期なんて先生たちは言うけれど、今は「二年生の後期」だ。受験に向けて準備など出来ない。そもそも二期制を採用しているのに0学期などと言うのはおかしな話だと思う。

「何の曲?」

「この間やってたドラマの主題歌」

「ああ」

 春には他愛ない話をしてる余裕もなくなるのかもしれない。ならば恋愛なんて尚更している余裕はない。そう考えるとやはり今年のバレンタインがラストチャンスだったのではないだろうか。

 思えば中学生時代からずっとそういった機会を逃してきている。中学1年の時に好きだった先輩にも、3年の時に好きだった部活の同期にも、想いは伝えられなかった。もしかしたらこれからもそうなのではないかと思うと、少し不安になった。

「……ずっとこんな風に彼氏もできずに過ごすのかなぁ」

「……そしたら私が貰ってあげるよ」

「その時はお願いします。でも陽奈なら、すぐいい人見つかると思う」

「大学入ったら勉強一筋のつもりだからどうだろうね」

 笑って話す彼女には不安の色は見えない。好きな人にはチョコを渡せなかったのだろうが、陽菜は可愛くてモテるのだ。自分も本当に心配などしていなかった。

 何より夢を持っている彼女は、魅力的だ。

「いつのまにか虎になってるかもね」

「それでも気づいてくれるでしょ」

「流石に声だけじゃちょっと」

 発狂して虎になってしまうほどの勉強はきっと私にはできない。陽菜ほどの可愛さも好きな人に告白する勇気も、夢も持ち合わせていない。

 それでも親友とのこの他愛ない時間を過ごせている自分は悪くないと思う。

 温かい時間が、彼への想いをドロドロに溶かしてくれればいい。本当はゴミ箱に捨てて燃やされればいいけれど、跡形もなくなるのも少し寂しい気がした。

 あと一か月足らずで、ホワイトデーが来る。その日、杉原君が他の誰かにお返しを渡している姿を見たりなどしたら、また憂鬱になってしまうだろう。だから、しばらくの間はこの状況に甘えていたい。親友と二人で臆病な自分を慰めあうこの状況に。

「ありがとね」

「ん、こちらこそ」

「……陽菜は、誰に渡せなかったの?」

「内緒」

 教えてもらえないのは少し寂しいけれど、それ以上はやはり触れなかった。突き放すような口調でも顔でもなかった。ただ少し笑って窓の外を見てしまった。やはり陽菜は笑う顔も横顔も可愛い。

 大学に入ったら、大人になったら嫌でも変わってしまうのかもしれない。チョコを渡せなかったなんてちっぽけなことで悩まなくなるのかもしれない。その時、私も陽菜も幸せになっているといい。誰かの隣で臆することなく想いを伝えあえるようになっていてほしい。

 この恋心の残滓がその時まで少しでも残っていたらいいとも思う私はやっぱり臆病だ。しかし、チョコレート・ソルジャーなんて言葉も少し可愛く思えてきてしまった。

「私がチョコレート・ソルジャーで陽菜もチョコレート・ソルジャーなら、二人でチョコレート・ソルジャーズだね」

「そうだね」

 2月19日のチョコレート・ソルジャーズ。明日にはテストが控えている。目の前の敵を倒すのが最優先だ。テストが終わったら、週末にもう一度チョコを作ろう。

 陽菜の好きな少し苦めのやつを。

 

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4/14はブラック・デーなので僕はそちらに参加します。

 

written by 夜が怖い

片思い論


米津玄師さんの、「絵音に幸あれ」ツイートがエモすぎると思いました。北18条が怖いです。その二人がどんなふうに話をしたのか気になるし、ベッキーさんがあれをどんな気持ちで見たのかも気になる。


結婚報道受けても何事も無かったような投稿が続くんじゃなくて、そこの"揺れ"が見えたことにエモさを感じました。

 

段々分かってきたことだけど、大人ってそんなに大人じゃないかもしれない。

私自身、15歳くらいの時から根底にある考え方とか、好き嫌いとか、ほとんど変わってない気がするの。(私が子どもなだけですか?)

大人になると、経験値とかそういうものが、感情に蓋をしたり、より傷つかない方向に向かうのを上手くするだけなように思えます。


出来るだけ傷つきたくないけれど、傷を傷だと分からないくらいに麻痺するのは嫌だな。


実際のところはわからないけど、まだ痛む傷が見え隠れするような感じがしたから、あのツイートをエモいと感じたのかなーと思います。

 

 

そう、それで、傷つくことと関連して。

傷つくのって、片思いの醍醐味だと思いませんか?

惚れたが負けと言うけれど、傷つくことさえ楽しめたら、もはや勝ちだと思いませんか?

 


振られた悲しみが怒りに変わったり、

気づいたら相手に恋人ができてたことで憎んだり、

色々あると思うしどの感情も一つとして間違ったものではないんだけど。

でも勝手に好きになったのはこっちだし、思わせぶりな態度をとられたと思っても勝手にそう思ったのはこっちだし、

だから労力的にも、恨んでも仕様がないと思うのです。

 


傷ついても、自分を傷つけるのが貴方で良かったくらいに思いたい。

 


というか、振られたからって恋人ができたからってそれが理由では嫌いになれない。

人のこと嫌いになるのってもっともっと些細な、直接自分とは関わらない部分が理由なんじゃないかなと思います。

食べ方が綺麗じゃないとか、店員さんに優しくないとか、氷噛むとか(氷噛む人いたらごめんなさい、めちゃくちゃ個人の意見ですけどなんか苦手)。

 


究極的には、好きな人はどこで何してても好きだと思うし、そうなるともはや怖いものなしである!

もう会えない人でも、相手が自分のこと知らなくても、好きなうちは好きでいいし、最終的にお別れするのが分かってたとしても会えるなら会えるだけ会っておけばいいし。


と、考えるとちょっと生きるの楽になるんじゃないかなと、思ってます。

どうですか?

 

 

あと、恋愛的にどうしてもめちゃくちゃに傷ついた日はそれをどこかに書いておくといいです。あとで読み返すと傷ついてた日々さえ美しく見えるのが面白い。

もう戻れない、届かないものってどうしても尊く見えちゃうらしい。おもしろい。

 

もう言いたいこと全部言っちゃったので終わりにします。


あとそうだ、今日『さよなら歌舞伎町』を観て、上手く言えないけどそれぞれに傷つきながらどうしようもなく生きていく感じが好きでした。綺麗な話じゃないから絶対好き嫌い別れるけど、よかったら観てみてください。なお、絶対親とは観ないでください。

 

p.s.北18条とかよりリクルートスーツが怖いかもしれない

スランプ

どーも、老いが怖いです

更新遅れてごめんなさい


ここ10日間ぐらいは人生で最も悩んだ時期でした。

なぜか何も前向きになれず、自分の実存が揺らいでいたんですね〜これが。


今はだいぶ脱しつつあります。いやー辛かった

なぜ脱することができたかというと、こないだうちの講座の卒論修論発表があったんですね。かなり内容は難しかったので理解できないところも多々あったんですが。

そのあと飲み会があって、そこでみんな苦しみながら生きてるって実感できたんですねーこれが。

自分の人生決定的に辛いことがなかっただかうちの講座の大半より幸せだなと思えました。

あとシンプルに発表をきいて、自分もいい卒論書いてやろうじゃないかと。


なので、僕はもう大丈夫です。

これからもしっかりします


あと、最近乃木坂が結構好きです

帰り道は〜帰り道は〜遠回り〜したくなるよ〜〜〜


以上です!

ハッピー・デイ

「バレンタインデイ・キッス♪ バレンタインデイ・キッス♪」

ピッ。目覚ましを止める。マルロクヒトマル時、起床。布団を5秒で出、10秒で畳む。今日一日は一切の一挙一動に気を抜けない。ラインを確認。ロッテ、メイジ、モリナガより2通ずつ。まだ焦るときではない。

パジャマを一気に脱ぐ。冬の寒さも静電気も、今日ばかりは良い気つけだ。パリッとしたワイシャツを取り出す。綺麗にアイロンかけてくれて、ありがとうございます、お母さん。軽く撫でるだけでボタンはとまり、ベルトは腰に勝手に巻きつき、ネクタイはひとりでに襟に収まる。毎朝が今朝の如く迅速に進んだならば、どれだけ人生に肯定して暮らせるだろうか。

食卓につく。「おはようございます、お母さん」いつもうるさい母も今日は何も言わず、振り返って僕と目を合わせると、ニヤリと笑った。遅れて父の入場。「おはよう。あれ、今日は馬鹿に早起きだな」と目をこすり、パジャマのまま席につく。今日が何の日か、てんで頭にないようだ。これだから、安寧に定住した男は、と思う。母は、ふん、これから思い出させてやるんだから、という目で、やはりニヤリと笑った。朝食が吸い込まれるように胃に収まっていく。張りのある声で「ごちそうさま」を言う。歯を磨きながら用を足す。便すら今日は勢いがよろしい。戸を開けると弟が「いっぱい出たぁ」とオムツを掲げていた。

コート・マフラー・手袋。靴はわざわざ紐を解き、結び直す。「いってまいります」と張りのある声で言い、家を出る。スッサスッサと大股でせわしなく歩く。勤勉だ。歩道橋で朝倉君に会う。

「おはよう」

「おはよう。とても気持ちの良い朝だね」

朝倉君もいつもは気にかけないはずの髪を実に気持ちよく整えており、靴紐もよく結ばれていた。

「では、お先に」と、視線を少し僕に残して、そしてスッサスッサ歩いて行った。今日がどんな日かはお前も分かっているのだろう、僕らはその意味で理解者だが、しかし、その意味で敵同士でもある、せいぜい頑張っておくれ、というような視線だった。今日出会う男子のおおよそとは、かようなアイコンタクトを交わすことになるだろう。しかしながら、おそらく、君らは僕の敵ではないのだ。

「おはよう、工藤君」「おはよう、林君」「やあ、おはよう」

下駄箱。男性諸君は紳士らしく振る舞い、固く結んだ靴紐も礼儀正しく解いているが、ここは第一の戦場でもある。我が校一のモテ男・杉原君の下駄箱には、既に蓋が閉まらないほど「物資」が詰められている。敵意をもってそれを見つめながら、「空の」上履きを取り出し、履き替える。

教室に入ると、教卓の周りに男子が群がっていた。黒板には「2年3組女子から、男子へ、気持ちです」と。なるほど、教卓には様々なチョコレート製品が積まれている。これが「女子からの気持ち」か、と少々ムッとする、が、ここで波風を立てるわけにはいかない。ありがたく、ポッキーでも貰っておこうか。

今日一日の男子は、まさに訓練された犬。男子は1限から6限まで、全ての角度を90度にしたまま実に行儀よく授業を受けた。ゴミ捨ても率先してした。それでいて、部活動は何かと理由をつけて休み、何をするでもなく、多くが学校を徘徊して過ごしていた。

体育館裏を通ると、物陰から、4組の中村さんが何やら観察している。視線の先には、どうやら男女。「あの、これ、池田君のために、あの、手作りだから」と、モジモジ、小さな箱を取り出した。中村さんはガッツポーズ。無性に腹が立つ。誰かに相談しなきゃならぬほど臆病ならば、かえってやらない方がいいんじゃないのか。どうせこんな「デー」という場に則らなきゃ告白できないなら、その程度の思いさ。だいたいなんだ、手作りって。ちゃんとカカオ豆から製造したのか貴様は? と、詮方ない思いになる。中村さんがこちらに気がついた。

「性格悪いなあ、人のこういうシーン盗み見るなんてサ」

と冷やかすも、どこか居心地わるそうだ。

「やることないんなら一緒帰らない?」

中村さんが呟いた。少しドキッとする。他意はないのかもしれない。いや、そうだろう。おおかた相棒を気遣って、野次馬を処理したいのだろう。だが、何で少し赤くなっているのか。いや、そう見えるだけか? いずれにせよ、こういう場合は提案に乗るべきなのだろう、「紳士ならば」。

「おっけー」

僕は返す。紳士なので。

「でも、ちょっとやることあるから。あとでね」体育館裏を後にする。ごめん中村さん、仮に他意があるのなら、僕は紳士といえど多分答えられないだろう。約束の時間だ。

 

夕方の音楽室には、僕と彼しかいない。杉原君だ。すまない、名も知らぬ中村さんの友達。僕だって、こんな「デー」という場に則らなきゃ告白できない、その程度の男さ。既成の板チョコを溶かして固め直すしか能がない、その程度の男さ。許してくれ、大目に見てくれ。きっと世間じゃ、僕の方が普通じゃないのだろうから。

リュックから小さな箱を取り出す。

「好きです、杉原君」

学校はオレンジ色だった。

 

文責:MeTooが怖い