感情鈍麻が防衛反応だとしたらそれが起こることすら憎い
さて、私は慣れが怖いです。
これは、私は「慣れが怖い」という名前です、という意味です。
慣れって怖いのかな
「いつもの喫茶店」とか「常連」とかいうワードに魅力を感じてしまうタチだから、たぶん慣れって結構好き。
ただ、戒めとして、慣れは怖い。
慣れることで新鮮なドキドキや嬉しさ、悲しさ、怒り、なんかの感情を感じられなくなってしまうのは、怖い。
慣れちゃったら、クソみたいな恋人が阿婆擦れとホテルに行っていたことへの怒り悲しみすら10分と持続しない。回数を重ねるごとに軽蔑は増えるけど、それに心を動かすことは無駄に思えてしまう。
そんな自分への戒めとして、慣れは怖い。
まあ、私も慣れたくて慣れてるわけじゃないよ。感情の無駄遣いをしたくないし、私の平穏な毎日が守られるならクソ男がどこで何をしていようとどうだっていい、と思ってるけど、でも、本人に怒りと悲しみをぶつけてもう一生顔見たくないって言えたらいいのにっても本当は思ってる。無理なんだけどね。
感情を剥き出しにして他人にぶつけられる人はある意味で羨ましい。私は自分がどう思っているのか、何をしたいのかさえ、実際のところいつもよくわからない。これからどう生きてこうかなあ。
慣れちゃいけないのは私もわかる。
こんなことに慣れてそのまま終わる人生まっぴらだ。このままじゃ気がついたら卒業して、ぐずぐずと流されて結婚して、子供ができてる。見える。見えるぞ!
感情の無駄遣いをせずにこの慣れのループを終わらせる方法はただひとつ。
次を作ることだ。
written by 慣れが怖い