続・羅生門
※この物語はフィクションです。1学生の1妄想としてお楽しみください。
なお芥川先生の『羅生門』は青空文庫でお楽しみいただけます。やったね!
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やっと体を起こした老婆は這うようにして門の下を覗き込んだが、もはやそこには闇があるばかり。
老婆は無表情であった。しかし、「恨むまいな」という下人の言葉の通り、引剥をされたことにさして恨めしさも感じられなかった。着物など、そこ辺に転がる死体から拝借すればよい話である。
それでも梯子の口の側から動けずにいたのは、黒洞々たる夜の冷気に、遠い昔のことを思い出していたからであった。
「引剥をした者に姿が重なろうとは、あの男も落ちたものだぞよ。」
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老婆はかつて、美しかったのである。もっとも現在では、皺によって去る昔の面影は消え失せ、曲がった背からもその姿は猿のようだと形容する他ないが。兎も角、老婆には美しい時代があった。商人という身分であった故にさほど長くはないが、艶のある漆黒の髪。少々鋭いが、凛とした切れ長の眼。されど何分かあどけなさの残る表情で懸命に商売に励む老婆は、野に咲く花のようであった。
いや、ここでは老婆と呼ぶのをやめ、「黒髪の乙女」としよう。この乙女に、当時京に名を馳せた若い男が目を掛けたのも、道理であったと言えようか。
市の日には正午から日没まで、乙女は働き続けていた。ある秋の日のこと、鴉が巣に帰る頃に現れた男は、乙女の拵えた小さな巾着を手に取り、これを戴こうかと云った。
「旦那、それは大変有難いことだけれども、これは私が拵えた売れ残りのがらくたぢゃ。見たところ、わざと粗末な恰好をしていらっしゃるが、きっとやんごとなき身分であるお方に、がらくたを売るわけにもいかないのでございます。」
これを聞いて微笑んだ、その男の玉のような美しさたるや。
「気づかれてしまったようだから申し上げると、確かに私はそれなりの身分の者です。しかし、兄上を深く傷つけることをしてしまったものだから、京を離れることにしたのです。そこで京の人間が作った物を持って行き、その地でそれを見つめながら京を想いたい。貴女はこれをがらくたと仰るが、私には貴女と同じ野に咲く花のように映ったのです。」
かやうにして男は、黒髪の乙女の心と、乙女の作った小さな巾着とを手に入れたのである。
かの朱雀帝の御時のことであった。
京を去ると云うこの男は幾度か乙女の元に通ったが、幸いにしてこれについては京の誰一人として知ることが無かったという。
そしてある日の夜が明けぬうちに、乙女には一言も告げることなく、男は須磨へと旅立った。男を待ち続けた黒洞々たる夜の闇を、冷たさを、彼女は忘れることが無かった。
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「嗚呼、ずっと昔の話じゃ。」
やっとのことで立ち上がった老婆は、どこからか着物を持ち出してきて羽織ると、背の曲がった猿のようにして座り込み、下人に中断させられた鬘作りの続きに取り掛かった。
美とは諸行無常。さりとて、一人の男を今だに忘れぬ乙女の心を垣間見た我等には、この老婆がいくらか可愛らしく映るのではあるまいか。
彼女は、野に咲く花のようであったのだ。
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次回:「続・羅生門 走れ下人(仮題)」お楽しみに。
written by 北18条が怖い