北北北

ひばかり②

前話→ひばかり① - 北北北北北

 

 

「延長十回。両チーム三回の攻撃から膠着状態が続いております。裏の〇〇商業、ここで均衡を崩し十八年振りの一回戦突破となるでしょうか」

 

昼飯時には全員集うのが我が家の習わしだが、喋るのはほとんど母とババだけだ。2人が食事を済ませて寄合の支度に取りかかると、居間には風鈴と、テレビの実況と、素麺をすする音しか聞こえなくなった。ジジは仏壇の前で煙草をふかしている。

「ゆうこちゃん帰ってきとるってな。どすら?盆祭りさ呼ばっだら?」

と、父は新聞を読みながらニヤニヤする。集中しろ、と思う。お前はそんな、食べながら読みながら冷やかせるほど、スペックは高くないだろう。

「さあな」

とだけ返し、浅漬けの胡瓜に箸を伸ばす。父は「なんだ」という目でチラとこちらを見ると、つまらなそうに素麺をすすった。

時計の鳩が一回だけ鳴く。休憩終了の合図だ。居間でくつろいでいた男性陣も畑仕事に出て行く。なんとなくひばかりが気になったので、僕は「数学やるから」と暇乞い申した。父もジジも少し首を揺らしただけで、特に何も言わず日差しの元へ出て行った。

 

ひとまず自室へと戻り、いま一度、ひばかりを観察してみる。長さは見たところ十数センチ。手を目一杯開いたときの、人差し指の先から親指の先までの長さとほぼ等しかった。これってナニかの長さと一緒だったよな? と思ったが、そんなことはどうでもいい(思い出したくもない)。色はいわゆる「褐色」、身体もしなやかに細く、イメージする「蛇」と比べると、まるで子どもだ。実際まだ子どもなのかもしれない。ひばかりはほとんど動かなかった。舌だけが忙しく出入りしていた。口は完全に閉じても少しばかり隙間が、舌を出し入れする用の隙間があった。口が乾きそうだなぁと思った。霧吹きをすこし水槽に吹いてやった。すこし怯えたようだ。

ひばかりを潤しながら、ゆうこのことを考えていた。
歳は僕の一個上、今年で19。幼い頃(毛が生える頃合いまで)は姉のように慕っていた。もっとも部落の子ども世代は皆が兄弟のようなものなのだが、僕らはその中でも最年少の2人だった。高校を出た若者は、部落にはまず残らない。就職やら進学やらで(程度の差はあれ)都会へと出て行き、そして農家志望か嫁志望でもない限り帰っては来ない。一人またひとりと兄弟たちは旅立ち、ついにはゆうこと僕のふたりになった。兄弟が減るのに反比例して、僕らの距離は段々と開いていった。男女は成長とともに異化してゆくのだ。僕らは、彼女がどうだったか分からないが少なくとも僕は、それを直視するに堪えなかった。異化してゆくモノそのものよりも、それを知覚することでさらなる異化を遂げる自身に嫌気がさすのだった。代わりに目を向けられる兄者たちが段々と減るにつれ、視力の及ばないところまで離れざるを得なかった。僕らが関わり合いを失っていくうちに、とうとうゆうこまで旅立った。僕はひとりになった。

 

「ゆうこが帰ってきた」。ひばかりはしなやかな身体を少し硬直させ、心なしか震えているように見えた。
餌をやらねばならない。カエルが丁度いいだろう。

水流は、真夏の田舎においては「余所者への態度」の次に冷たい。たとい雨天でなくとも、木陰で土が湿っていて草が茂っていて……等々の条件を満たす用水路でならば、容易にアマガエルは捕らえられる。ものの5分で4匹も捕まえた。しめて1分15秒/匹の効率である。憐れ・アマガエル諸君は自分らが餌になるとも知らず、不穏な恒温動物の皮膚に大人しく鎮座した。
虫かごは(例の食客によって)埋まっていたので、左の掌にカエルをすべて乗せ、逃げ出さぬようそれに右の掌を、おにぎりを握るように被せて帰路についた。はたから見れば、僻地にはおよそ似つかわしくない商売人か、あるいは下手な印契を結んでいるようだろう。実に間抜けである。この様を誰かに見られた日には、「あすこの息子が能の舞をしとる」と噂が立ち、瞬く間に部落中へ広がり、明朝には渾名が「野村萬斎」になっていることだろう。そんな事態を避けるために出来るだけピッチを速めるのだが、かえって能役者が板についてきたようになってしまう。
車道はやめて、丘を突っ切ることを思いついた。早速、笹を分け分け、丘を登り始めた。しかし手が塞がっている分、バランスを上半身全体でとらなきゃならない。上体を左右に大きく揺らしながら大股で斜面を登るに至り、いよいよ奇っ怪さは頂点を極めた。もはや幽玄ではない。妖怪である。
幸い、丘を登りきって向こう側へ降ればそこはもう我が家の勝手口だ。転ばぬよう、一歩一歩に神経を費やしながら、ゆっくりと降ってゆく。右足を上げ、少し前へ出し、踵からゆっくりと地につけ、右足に体重を移動しながら左足を上げる。少し前に出し、踵からゆっくりと地につけ……
「何やっとんさ?」
斜面に気を取られすぎて、来訪者に気がつかなかった。
「畑におらなんだけ、おじちゃんらに聞いたら『家で数学しよる』ゆうから来たんに玄関鍵閉まっとるんもん。だからって裏からお邪魔しよう思ったんに……」
およそ僻地には似つかわしくない、レースのノースリーブ。およそ僻地には似つかわしくない、ベージュのワイドパンツ。およそ僻地には似つかわしくない、ミュール。大きな紙袋。
ゆうこだった。
「何やっとんさ?」
「の、野村萬斎……」

 

 

つづく

分析:MeTooが怖い