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クロアチアに行きたい

クロアチアに行きたい


どうも。こんにちは。僕はペンネーム「老いが怖い」でやっていきます。

今回はペンネームの由来にもなっている老いについてかきたいですね。はい。


僕は本当に老いるのが怖いです。年をとることがこの世で一番怖いです。ただそれは老いると死ぬ確率が上がるからではないのです。僕は死ぬことはある程度納得しているので、タバコも時々吸うのです。

僕は今の生きている時間が二度と体験できないことが怖いのです。歳をとればもっと楽しいことがあるかもしれないし、輝く未来が待っているかもしれません。でも、たとえそうであってもこの時間は帰ってきません。逆にいうと今がある程度楽しいのかもしれません。


この手の問題の解決策として楽しい未来を想像するというものがあります。しかし、楽しい未来を想像する時間はこのかけがえのない時を無駄に使ってしまっているように僕には思えてしまい、深く熱中できないのです。

そんな僕を支えているのが


僕はクロアチアに行きたい


この一文です。


この一文に僕は現在と未来の調停を託しています。

僕は本当にクロアチアに行きたいと今思っていますが、これは未来に実現する可能性もあります。クロアチアに行きたいと思っているのは今ですが、実際に行くのは未来です。ここに僕は現在と未来を一つの重ね合わさった時間としてみることを期待します。


僕はクロアチアに行きたい


このような文をもっとたくさん生産すればいいのかもしれませんが、そのような文を生産するのはまさに今を失うことです。このような文を意図的に生産してはなりません。ほんのひょっとしたきっかけや些細な偶発的な事件によって気づかねばなりません。


僕はクロアチアに行きたい


この分はまさにひょっとしたきっかけから生まれたものです。


僕は音楽が好きで、ハヌマーンというバンドがとても好きなのですが、ハヌマーンの「リボルバー」という曲で以下のような一文があります。


死んでしまうということはとても恐ろしい

明日をまっとうに生きることの次に恐ろしい


この文は辛い毎日を過ごすことの恐ろしさから来たものでしょうが、僕は逆に明日をまっとうに生きることの裏の意味に怖さを感じます。つまり、明日をまっとうに生きるとは、かえがえのない今日を過ごしきってしまうことだと。

だから次の一文。


僕はクロアチアに行きたい。